竹口 第二Blog

竹口の日記で削除した記事や、短い日記などを掲載します。

メインはこちら→竹口の日記

平成元年が「サザエさんの時間」に組み込まれてしまった〜波平、ぬれ落ち葉〜

ちょうど今、リアルタイムで放送されているサザエさんが、「濡れ落ち葉」に関するエピソードだ。

電車の車内で、女性2人が

「そーゆーの濡れ落ち葉って言うのよぉ」みたいな話をしていた。温度感的には、新語・俗語みたいなノリで出てきている感じがする。

 

濡れ落ち葉ってな、平成元年の流行語大賞なんですわ。あの女性2人はサザエさんの世界の時間の中にいながら、平成元年の時間を生きている。

 

これは別に矛盾したことでもなくて、サザエさんの時間ってアレじゃないですか。

 

昭和何十年だか知らねえけど、ベースとなる時代設定があって、その設定に内包される形でいろいろな「ざっくりした昔」のイメージが詰め込まれている。

 

ということは、平成元年は「ざっくりした昔」として、サザエさんの世界観を織りなすノスダルジックな時間の中に組み込まれてしまったということでしょうかね。

 

全然違うかもね。そういうのじゃないかもしれんね。ただ、どうであれ平成元年はサザエさんの世界が干渉できるくらいの過去になったということではある。

 

別にどれだけ時間が経とうが、平成元年と、サザエさんの時代設定との絶対的距離が縮まっていくわけではないけども、時間が経って、日本人が経験した時間の長さが伸びていくごとに、それ全体を収めるための縮尺は小さくなるのだから、相対的な距離が縮まって行くわよ。

 

もっと感覚的な表し方をするなら、平成元年もサザエさんの舞台も、どちらも等しく昔のことになって、その時間差というのは矮小化されていくということだ。

 

めちゃくちゃわかりやすい例えがあったわ。一休さんの時代設定が矛盾している、考証がめちゃくちゃだ、とか言われてもどうでもいいじゃないですか。大昔の話なら、1世代分、数十年分ズレててもあまり違和感がない。

 

 

ということで平成元年は昔になりました!